2016年3月17日、写真家の白岡順氏が鬼籍に入られた。
2000年、川崎市民ミュージアムで開催された個展「秋の日」で初めて白岡さんを知った。
暗い画面内にピントのよく合った被写体が精緻なプリントで浮かび上がって見えた。
大学の写真コースになって1年目の僕には中々に難しい写真であった事は間違いない。いま思い返すと、当時の僕にはまだまだ写真を見る目が備わってはいなかった。
2001年、白岡さんが東京造形大学に赴任され、僕たち3年生の専任教員になった。
‘O3’ 一番初めの授業でホワイトボードに書かれたそれを指し、ニヤっと笑い、これが何かわかるかと僕らに聞いた。
オゾンの化学式からどう写真の話に結んだのかはよく覚えていない(あるいは結んでいなかったかもしれない)けれど、その出だしのO3のインパクトだけは今でも脳裏に焼き付いている。
その後、授業や喫煙所での雑談時、飲みの席などでその思想に触れると、その人間性も相まって、感化されるのにそう時間はかからなかった。
悪い影響が出るといけないからと、授業で自分の写真を見せる事はほぼ無かった白岡さんだったが、その甲斐なく既に十分に影響を受けていた僕らの学年の大半が1度は黒い写真を焼いた。それは必然性のない、ただ黒いばかりの代物で、もっと明るくプリントしたらどうだと言われる始末であった。
その黒い写真を見たり、うわさを聞いた他の学年の生徒などに揶揄されたのが始まりだったと思うが、僕らはいつしか‘白岡チルドレン’と呼ばれるようになった。不思議と嫌な感じはしなかったし、その事でむしろ白岡さんに教わっているんだという自負が浮き彫りにされたように思う。
そんな折、僕の中にはいつしか白岡さんとは違う事をして認めさせたいという反骨精神にも似たものが芽生えてきて、卒業制作にはボケボケの写真を提出した。
卒業後、1年間研究生として大学に残った際には‘黒’でも‘白’でもない‘カラー’を選択した。
そのいずれのケースでも真正面から、僕と、僕の写真に向き合ってくれた。
良いものは良い、駄目なものは駄目だと言ってくれた。
良いものは良い、駄目なものは駄目だと言ってくれた。
2年前の2014年1月の個展に来てくれて、そこで話したのが最後になった。
いつものように写真のこと、同級生のこと、仕事のことや景気のことなどの世間話をした。
葬儀の帰り道、大きな流れ星を見た。
こちらはもう桜が咲きはじめました
そちらはどうですか
誕生日おめでとうございます
本当は28日に書き上げる予定でしたが、
今になってしまいました
今になってしまいました
お前らしいなと笑いますか
またいずれどこかで
乾杯
SEKI'kaoru
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