関薫写真展「眩む日」始まりました。>>
サードディストリクトギャラリーでの自身4度目の個展です。今回、初の試みとして温黒調の印画紙を使用したことが挙げられます。これまで温黒調はその独特の黄色っぽさが意図的、懐古趣味的に過ぎる感があり敬遠してきました。それがどうして今回温黒調の印画紙を使用したのかというと、今年の初めに手に入れたサリーマンの写真集「DEEP SOUTH」を観て、こういう感じだったら温黒調の写真も悪くない、自分の写真にもはまるかもしれない、などと安直にも思ってしまったことに端を発しているのです。
「DEEP SOUTH」の紹介文を見ると、‘偶然、南北戦争期のガラス・ネガを見たことがきっかけで、アメリカ南部の魅力を再発見したサリー・マンが、その「ディープ・サウス」にふりそそぐ独特の光を表現すべく、湿板技法をはじめ、様々な暗室テクニックを駆使して制作した作品群。コロジオン溶液の塗りムラ?や現像に失敗したプリントのようなものも混じるけれども、それが逆に味わい深さを加味しているよう’だそうです。
はじめに彼女の中に確固としたイメージがあり、そのイメージに近づける手段として様々な技法を駆使した結果の作品なのでしょう。確かに画面に黒い点々が入っていたり全体がもやもやとしている写真があったりするのですが、それも含め一点一点がとても丁寧に作り込まれている感じを受けるのです。ちょっと前にこのブログで牟田さんがプリントに念を込めるみたいな話を書いていましたが、サリーマンのその姿勢に僕は怨念にも似た情熱と執着を感じるのです。
念の話に関していうと、やはり僕も御多分に洩れずだなと思ってしまいます。それは暗室での印画紙への焼き付け→現像→停止→定着→水洗という一連のプロセスに呪術や祈祷などのなにか儀式めいたものを感じてしまうことがあるからです。特に現像液に浸した印画紙に像が浮かび上がってくる瞬間などは、ただの化学反応という枠を超えた、なにかしらの力が作用しているのではないかと思わせるものがその一角には漂うのです。
かつて大学の暗室でプリント作業をしている際に、同じくプリントをしていた先輩が現像液に浸した印画紙の表面を、それを攪拌するための竹製のピンセットで左右上下へとやさしく撫でて?いるので、それを見た僕が何をしているのかとその先輩に尋ねたところ、特に意味はないのだけれども、おまじないのようなものだ、と答えてくれたことがありました。何か効果があるのかと僕もその動作を自分なりに真似ていると、それを見た教授にそんなことをしてもあまり効果はないと思うし、印画紙の表面を傷付けることもあるだろうからやめた方が良いと、一蹴されました。それ以来僕が印画紙を撫でることはなくなりましたが、先輩のあのなめらかな手の動きにはやはり、目には見えない何らかの力が宿り、プリントに影響を与えていたに違いないとも思えてしまうのです。
さて今回の僕の温黒調の印画紙を使ったプリントなのですが、結果どうなったかというと、当初思い描いていたようなザッツ温黒調みたいなプリントにはならなかった(研究不足もあり出来なかった)のですが、自分の写真にはむしろこれ位の色味加減で良かったなどとはっとし、一人納得してみたりしたのでした。
展示は18日(日)までです。どんな作品になったか是非ご高覧下さい。土曜、日曜は在廊しております。
関
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