安掛正仁写真展「蛞蝓草紙 -既視の霧-」開催中!
12月27日(日)までです。是非ご覧ください。
安掛は今日と明日、在廊しております。
よろしくお願いします!(3rddg)
安掛正仁「蛞蝓草紙 -既視の霧-」 |
『はると先生の夢色TSUTAYA日記』10
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「ホットロード」 2014年
監督/三木孝浩
原作/紡木たく
脚本/吉田智子
出演/能年玲奈
登坂広臣
鈴木亮平
大田莉菜
木村佳乃
1986年から87年の間に「別冊マーガレット」で連載していたらしい。当時の少女漫画にしては珍しく不良少年少女とか暴走族を題材にしたもので社会現象とかのレベルでは無かったがそれなりに広い範囲でブームにはなっていて私達の世代の女子達の多くは皆この漫画にかぶれていた様な記憶がある。私が原作を読んだのは多分17歳の時で当時同棲していた彼女が持っていたのを読ませていただいたのだが、この時の感想は「こんなものは高校デビューが喜ぶようなくだらない話で、実際の不良の世界はこんなに甘いものではない。」みたいな感想を彼女に投げつけてしまい酷く傷つけてしまった覚えがある。
その時代それまでの少年不良漫画は主に番長モノが多く、正義感溢れる転校生が喧嘩をしながら学園の不良たちと意気投合し悪の組織と闘う話とか、百人位相手に一人で日本刀もってやっつけるとか、身長約3メートルの地下室に隔離されていた裏番と闘うとかの無茶苦茶な話ばかりで、はっきりいって非常にくだらなかったが、まるで怪獣物のようなそれら漫画には節々に男の美学的な硬派的思想、自己犠牲や友情の美しさ、弱者に対する労り等がコレでもかと言う位に強烈に描かれていた。
実生活ではガリガリに痩せて異常に気の弱い幼年時代を過ごしていた私はこういった世界に強い憧れを持ってたせいなのだろうか?どうもこの「ホットロード」のような多少のリアリティーはあるが女性が嫌悪する要素の皆無な主人公(美少年)がしかも不良少年として登場する物語を素直に受け入れる事は、何か自分の中の大切な物を売り渡すような気分になる様な気がしてつい拒絶せざるを得なかった。そんな年齢だったのだ。しかし実際には当時私は暴走族の活動はしておらず、彼女との結婚を目標に毎日真面目に働いていて、少し早く落ちつこうと無理をし過ぎてしまっていたせいか?どうも不良少年として完全燃焼出来ていないジレンマを心の何処かに抱えてもいたのかも知れない。盛り上がっていた同年代の暴走族や漫画の中の登場人物が少し羨ましかった記憶が無くはなかった。
数年前に偶々、知人の家でこの漫画の復刻版をみつけて読む機会があった。独特のタッチで描かれた主人公の心理描写や少年少女達を何処か遠くから眺めているような目線、アンニュイな間のとり方は近年に読んでも感傷的な気分に浸る事が出来る。一つの季節を長く人の心に焼き付ける優作であった事をこの時理解した。
昨年公開された実写版を元妻がロードショーで観に行っていたらしくずいぶん感動していたのを思い出して(元妻も同世代、地元の後輩では無かったが隣町の不良少女でリアルタイムは主人公と同じ中学生で強く影響を受けていたらしい)新作であるにもかかわらず酔った勢いで借りてしまったのだがバイトあけの朝方に観た事もあり、あまり物語には集中できずだらだらと酔いながら映像を眺めていた。にも関わらず映画のエンディングで「OH MY LITTLE GIRL」が流れ出した瞬間、私の頬には大粒の涙が物凄い勢いで流れ出してきた。ただ単に夏の終わりの季節に観たからなのかも知れないし、自分でもうんざりする十代の思い出にひとまずの幕を閉じれたような気になれたからなのかも知れない。単に能年ちゃんが可愛かったからなのかも知れないが...
何かの本で読んだ情報によると人間が喜怒哀楽の感情を表に現す事は代謝的に非常に身体に良い事らしく、泣くという行為も時々はストレス発散に必要な感情表現であるらしい。
だからなのかも知れないが、この日私は観たあとにとても暖かい良質な睡眠を得る事が出来て非常に満足な一日であった。
しかしその数日後、私の中でこの映画を観たときの自分の感傷に対して、大きな疑問が少しずつ膨らんできたのでした。
たとえいくらか年を重ねて遠い過去を美化しようと言う人間の本能が生理として働いたからとしても、湘南の海のきらきらした風に主人公達と同じ頃吹かれていた時間を思い出したからとしても..
今更このような良くある80年代ノスタルジーの消費商法に乗せられてしまった自分を、やはり許せなかったのだ。
そんな気持もあり、あえて否定的側面を探すため、私は新作であるこの作品をその後更に2回ほど借りてしまったのでした。
劇場でもロングランだったらしく、人気作品で貸し出し中の時も多く2回目に借りたのは最初に観てからしばらくたってからの秋の季節でこの時はオザキの歌が流れても特別感傷に耽る事無く何とか踏みとどまり普通に眠る事が出来た。(個人的な意見としては操を守ったといった気分であった。)
しかし劇中の能年ちゃんと横浜から転校してきた娘との友情シーンや母親が恋人とホテルに入るのをたまたま目撃してしまった場面での台詞等には強くこぶしを握りしめてしまった。
不覚である。
こうして人は最先端のテクノロジーや計算された技術によって感情すら操作される大量消費文化の奴隷と堕ちていくのだろうか...
ミーハーだろうと良い物はよい、面白いものはおもしろい。ほんとはそれでいいのだけど、どうも納得が出来ない。自分自身の感性に大きな危機感を覚えた私は意を決してもう一度この映画を借りる事にしたのだった。(しかもまた新作)
何度かのすり込みを経験したあとで観るとツッコミ所満載のアイドル映画で、能年ちゃんは悪くは無いが、例えば少し前の「宮崎あおい」とか「二階堂ふみ」とかでも成立してたのではないか?このような少し暗い少女の役はある程度の演技が出来る役者ならこなせなくは無いのではないか?恐い顔して大声で凄んで時々真剣な表情をみせれば恰好がつくヤクザの役が誰でも出来るのと同じように...登坂広臣君はカッコいいけどこれじゃ不良少年と言うよりホストでしょ?しかも役の設定よりかなり年いっちゃてるし。敵対する東京の武闘派暴走族はなんか仮面ライダーのショッカーみたいだけど何故か単車のマフラーはどノーマルだし。フルフェンス半分被って単車の音フォンフォンさせて襲撃されてもねえ。
あと「NOGHTS」の先代のトオルさんがなんかきも過ぎる、あんな先輩がリーダーだったら族なんかやらずに真面目に生活したほうがいいでしょ?彼女のひろこさんもちょい痛い不思議ちゃん
みたいだし。
まあようするにこの物語はバブル景気に魘された当時の反抗期の人達が未だにヤンキーメルヘンにしがみつくしか無く、しかしそれも現状大きな利権として成り立っているということを露にした作品であったのですた。
やはり不良マンガなら「熱笑花沢高校」暴走族映画なら「狂い咲きサンダーロード」そして尾崎なら「豊」じゃなくて王道は「紀世彦」でしょ?........
でも能年ちゃんにはこれからもがんばってほしいですね。
ではまたね。 ☆