2015年6月27日土曜日

新山さんのDMです!


6月30日より開催の新山発現さん写真展「Amok」のDMがようやく出来上がりました!

新山発現写真展「Amok」6月30日(火)~7月12日(日)です!


ウチらの不備でギリギリになってしまいました  ^ ^ ; ごめんなさい・・・。

今回もニセアカシア発行所の松本さん作。すてき!

3rddg

2015年6月20日土曜日

『はると先生の夢色TSUTAYA日記』8


(c)パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
12月26日

『サタデーナイトフィーバー』1977年

監督/ジョン・バダム

出演/ジョン・トラボルタ

音楽/ビー・ジーズ
   デヴィット・シャイア

※左の画像は、サタデー・ナイト・フィーバー 製作30周年記念 デジタル・リマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション


かなり寒さが厳しかった去年末、バイトに追われ忙しい時間の合間のこの日、某カメラ雑誌の編集者であるM上氏と誌面の打合せを兼ねて、当ギャラリーにて飲酒しながら相変わらずどうでもいい話にはなを咲かせて久しぶりにちょいと良い調子に酔い少し饒舌になっていた。何のきっかけだったかは忘れたしまったが、映画の話になりお調子者のM上氏に「星さんは、金子正次の『竜二』のに似ています。」なんて事をいっていただき、中2か中3の頃観たその映画が大好きで、秘かにかぶれていたいた自分としては非常に気分が良く、年明け早々に予定していた写真展の為の撮影もゆきずまっていた事もあり、何か良い発想も得れればよいかなと思い、M上氏との宴も終電あたりで切り上げて、新宿のツタヤに足を運んだのであった。しかし何故か実際に借りたDVDは「竜二」では無くこの映画であった。



♫♫♫歩き方で分かるだろ 女が夢中になる男さ 音楽が鳴り響き 女の温もりを感じる
虐げられてきたが 今はもう大丈夫 ニューヨークは俺たちに希望をくれる
みんな生きているへこたれずに 街や人の活気を体で感じろ
ステンアライブ ステンアライブ ステンアライブ ステンアライブ
今じゃずいぶんマシな暮らしさ ダンスにかけては誰にも負けない
明日をみつめて生きているんだ ♫♫♫

1977年に公開されディスコブームという社会現象まで巻き起こしたこの映画。その時代
には青春どころか思春期にすら達していなかった私ではあったが、当時日曜日の昼位の時間に放映されていた洋楽ヒットチャートのテレビ番組で何時も一位だったこの音楽と映像にうつされた冒頭のトラボルタが街を歩く際の靴を映したシーンは何故か私の幼い記憶の中で鮮明に残っていた。(ちなみにABBAやキッスやベイシティーローラーズとかも活躍してたよ)

実際に映画を観たのはやはり中学生の時でこの頃はまだテレビのゴールデンタイムは映画番組がやっていてトラボルタ役の吹き替えは何故か?郷ひろみが担当していた。別に郷には元々何の期待もしていなかったし恨みも無いが、話題性を重視しての起用で視聴率を稼ごうという意図は当時の私ごときにでも丸見えで、アイドルと実力派歌手と俳優とか声優の違いが色濃く区分けされていたように思えるあの時代、やはりそのジャンルの専門家ではない妙に特徴のある郷の声の吹き替えはナカナカの違和感がありわざとらしく、この映画が極めて陳腐な、憎むべき価値すらないものだという偏見を持つのには充分な理由だったのだと思う。(ちなみに私はその当時わりと熱狂的な聖子ファンで日曜日の夜10時から松田聖子の「夢で逢えたら」というラジオ番組を毎週欠かさず聴いていて、そこで聖子がこの映画の劇中トラボルタが履いていた黒のビキニパンツがとてもセクシーで格好良かったなどと話しているのを非常に複雑な想いで受けとめていたのを憶えている..まあどうでもいい話だが...)
それでまあ、久しぶりに観る事になったこの映画がどうだったかというと、非常に素晴らしい優作品であった。部屋で「ひとりダンスフィーバー」とまではしなかったが、アナロジカルなサイケデリック感が目に程よく刺激的で、また当時のニューヨークに溢れていたであろう、希望と闇が混在し自然発生したような街そのものの強烈なエネルギー、何よりもこの映画の売りなっているダンスシーンの素晴らしさは、運動神経とリズム感が相当欠如している私でも、もはや制御出来なくなる位の興奮をその夜もたらしたのだった。


ニューヨークのブルックリンで生まれ育った若者トニー(ジョン・トラヴォルタ)は、住みなれたベイ・リッジの町のペンキ屋で働いていた。若いエネルギーがいっぱいのトニーは、毎日が同じことのくり返しであるこの職場に、うんざりしていた。だが、トニーにも、このうっ積したエネルギーを爆発させる場所があった。ディスコテックである。踊りがずばぬけてうまいトニーは、ディスコの王者だった。毎週土曜日、1週間の仕事が終って、夕やみがせまると、派手な花柄のシャツに脚にピッタリついたギャバジンのズボンといういでたちで、さっそうと夜の町へとびだした。トニーをとりまく仲間たちは「顔(フェイス)」と呼ばれ、ディスコでは幅をきかせていた。ある土曜日、いつものようにディスコにくりだしていたトニーは、新顔のステファニー(カレン・ゴーニー)という魅力的な女の子に目をとめ、その他の女の子とは違った雰囲気にひかれ、さっそく踊りにさそった。ステファニーは、トニーが今まで踊ったことのないような素晴らしい踊り手だった。踊りのあと、ステファニーといろいろ語りあったトニーは、彼女がブルックリン娘でありながら、もっと広い世界にとびだそうと努力し、勉強していることを知る。今の生活を安易に送っているトニーにとって、ステファニーの生き方は驚異だった。彼は生まれて初めて、人生のあり方を考えるようになった。トニーは、牧師をやめて聖職を離れる決心をした兄(マーティン・シェイカー)にも自分の悩みを打明け、兄の考えを聞いた。やがて、ディスコで競技会が催されることになり、優勝チームに500ドルの賞金が与えられると発表される。500ドルあれば、ステファニーと新しい人生を求めて第一歩を踏みだすことができる。……トニーはステファニーと共に競技に出場する決心をした。いよいよ当日がくる。その日は、トニーが土曜の夜の『興奮(フィーバー)』から抜け出して、目覚めた大人として新しいスタートを切る日でもあった……。(Movie Walkerより抜粋)


ディスコでのダンスシーンがメインの映画だが、トラボルタ演じる主人公は家族との確執、友人達との関係に対する疑問や人種差別の問題といった以外と重苦しいものを心に抱えつつ日々を過ごしている。「青春」とは最も輝きつつ悩み多き年頃で、将来に対する不安や自身の現状に不満があってしかるべきであり、ただ単にカッコいい踊りの上手な主人公がモテまくっているだけでは物語として成立しえないものだ。意外とその辺りが当時、この映画に大勢の若者が共感を覚えた最大の理由だったのかも知れない。
そのような若者の葛藤にとりあえず一区切りつけるのはだいたい何時の時代も恋愛であるのだと私は想う。しかしこの映画に唯一難癖をつける部分があるとしたら、ヒロイン役にまったく魅力を感じられなかった事だった。ただ単に私の好みで無かったといえばそれまでだが、なんとなく老け顔でセックスアピールを感じさせない女優が、計算高く上昇志向の強い、それでいて少しミーハーで垢抜けない役柄を演じていて、調子ぶっこいた自意識過剰な女が、モテるけど純朴な主人公を振り回して喜んでいるような気がして、どうにも気に入らなかったのだった。(当然女優が好きなタイプだったらそういうふうには思わないのだけどね)
もしかしたらその辺の登場人物達が皆、いま一つ洗礼されていない所も、古き良き時代の名残で、今この時代、この年になってたまたま観たこの映画に私が感緒を受けた事と実は密接に繋がっているのかも知れない...何にせよトラボルタのダンスシーンは圧巻で悲しみも苦しみも素敵に楽しく踊れば吹き飛ばす事が出来るという主題を、非常に気持良く表現してくれたのだと思います。あらためて言うのも何だけど、ダンスは音楽と運動とセックスの混在した要素があるからそりゃあ若者達は熱狂するよね。

ちなみに私自身の青春時代。時代は違ったがやはりディスコは健在で(クラブと呼ばれる少し以前)巷ではブレイクダンス等が流行っていたらしく、少し上の先輩達もよく遊びに行っていたようだ。ナンパや喧嘩の話は色々と聞かされて興味はあったが、私から下の世代の地元の町内の仲間達の間では男女問わず「ディスコ禁止」という掟があった。
そういう都会的な遊び場所に旨くとけ込む事が苦手だったし、何よりも後輩の女子達が自分よりずっとイケている遊び上手な(けんかもつよい)男に靡いてしまう事を危惧した私が作った規則だった。今思えばそんなセコい事考えてないで、もっと素直にフィーバーしておけば良かったよ。みんなごめんね。

エンディングのシーンでディスコを卒業してブルックリンの街からマンハッタンへ旅立とうとする主人公が散々振られ続けたヒロインに「これから本当の友達になってほしい」と告げて物語は幕を閉じる。正直男女の話としては苦肉の発言ではあるけどなかなか素敵な台詞だなと思った..どうせおれが言っても下心がばれてしまうから真似はしないけどね。
ではまた....



2015年6月3日水曜日

あたり。

フレックスガム買ったら「あたり」が出ました。
あたりとか大吉とか大好きなので、ものすごく嬉しいです。















最近自分が今まで撮って来た写真を見返しています。
そんなタイミングで「あたり」が出たのでなんか良い事あるかもなあ~!
なんてアホな期待をしてしまいました。


ハヤシ