2014年7月30日水曜日

DIALOGUE 01


石垣裕 x 金村修


(対談の内容はこちらから




近日公開と言いつつ、大幅に遅れてしまいました。

大変申し訳ございません...。

是非、ご一読ください。


那須



2014年7月15日火曜日

阿部真士写真展「2011,2012」

阿部真士写真展
「2011,2012」開催中! >>
7月23日(水)までです。


前回、今回と過去の写真を新しくプリントして展示しているのですが、ネガの保存が適当なのか、焼きたいカットのネガが見つからないという事が多々ありました。毎回汗だくでネガを蛍光灯にかざしている時は自分のだらしなさに怒りで手が震えるほど嫌悪するのですが…。難しい。

ネガが見つかり次第、写真を差し替えるかもしれません。ご了承下さい。

m( _ _ )m

よろしくお願いします!

阿部


2014年7月6日日曜日

「はると先生の夢色TUTAYA日記」4

(c)東宝
7月10日

『人情紙風船』1937年 

監督/山中貞雄
原作/河竹黙阿弥
脚本/三村 伸太郎
出演/河原崎長十郎
   中村 鶴蔵
   中村 翫右衛門
  (前進座総出演)




(c)東宝
今までに何人かの映画関係者から最高傑作であると聞いていたが(そのうちのひとりは山本政志監督だよ)最近になってようやくDVD化されたらしくやっと観る事ができました。

監督の山中貞雄氏はこの映画を作った後日中戦争に出征後28歳という若さで戦病死してしまったそうでしかも作品の多くは戦争で焼けてしまい、残ったフィルム はこの映画の他2作品だけというあまりにも不遇な映画監督であった。といった情報は作品を見た後に知った事なのだが、それはともかくあらすじはネットに出ていたものを引用させていただくと




 とある長屋で、自殺があった。老武士が首をつったらしい。しかし、住人たちは、その死を悼むよりむしろ「通夜」を口実に酒宴をしてしまう、そんな刹那的な連中だった。元は髪結いで、今は賭場を主宰する不良住人・新三(しんざ)が率先して仕切る。
 長屋連中総出でドンチャン騒ぎをする中、一人だけ参加せずに傍観している男は、浪人・海野又十郎である。海野は、再就職のための活動をするよう、妻にせっつかれている。妻は紙風船張りの内職をしていた。

 宴会から一夜あけた翌朝、海野は亡き父の手紙を携え、毛利という武士を訪ねた。毛利は、海野の亡き父に恩を受け出世した人物だった。その息 子である自分が頼めば、きいてくれるに違いない。・・・毛利の横に随いて歩きながら、自分の再就職のお願いをしようと必死の海野。しかし、毛利は「今は忙 しいから。この店に用事があるから」と取り合おうとしなかった。「それなら、お玄関でお待ちしております」と、なお食い下がろうとする海野だった。
 毛利が用があるのは、質屋の大店である白子屋。この店の娘・お駒と毛利の仕える家老の息子との縁談をまとめれば、毛利自身の出世の足がかりになり、白子屋も武家閨閥を得られる。かくして、お駒自身の気持ちと関係ないところで画策は進んでいた。当のお駒は若番頭の忠七とデキているのだが。・・・

 白子屋は、また、ヤクザの弥太五郎源七一家ともつるんでいた。白子屋がクレームなどの面倒なときのために、用心棒がわりに抱えこんでいる関係である。この日は、毛利につきまとう海野を追い払うために弥太五郎一家を動員する白子屋であった。
 さらに、弥太五郎一家は、自分たちの縄張りを勝手に荒らして私的に賭場を開く新三のことも痛めつける。
 こうして、長屋の隣人同士である新三と海野は、白子屋−毛利−弥太五郎一家というトライアングル・コネクションにそれぞれの事情で怨恨を抱く。

 縁日の夜は雨だった。海野が毛利に再就職の件を再度頼もうと白子屋で待ちぶせしていた頃、新三は縁日の寺でお駒を見つける。そして、ある悪だくみを思いついた。
 新三は、お駒を拉致した。妻がちょうどその晩に外出していた海野は、新三が連れこんだお駒を、行きがかり上、自分の部屋にかくまうことで結 果的に誘拐の片棒をかつぐことになった。白子屋のお駒をさらえば、政略縁談を押し進める毛利が困る。白子屋の用心棒である弥太五郎一家も困る。嫁入り前の 娘に悪い噂がたつのを避けたい白子屋としては、番所に届け出るわけにもいかない。・・・
 これは、単なる営利誘拐ではない。新三にとっては、自分を目の敵にする弥太五郎一家に一泡ふかせるチャンスだ。海野にとっても、自分を邪険に扱った毛利にささやかな復讐をするチャンスとなる。
 たまたま利害の一致した二人の男が、損得でなく意地とプライドをかけて敢行した拉致。果たして、吉と出るのか、凶と出るのか!!??

http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/cinema/kamihusen.html



  
といったお話であります。で感想を述べさせて頂くと江戸時代の貧乏長屋で起きる人間模様。権力側(武士、質屋、やくざ)と恵まれぬ生活環境に活きながらもしたたかに生きる長屋の人々と髪結いの新三の大胆な抵抗といった、やくざ映画等によくある展開ではあるのだが、物語のもう一人の主役である浪人、海野又十郎のプライドは高いのだが、落ちぶれて情けない状況なのにそれでも気品を保とうという姿勢なのに結局どうにもならない可哀想な姿がどうにも心にやきついてしまってならない。武士は喰わねど高楊枝とはいったものだがかっこばかりつけても貧乏で駄目なやつはやはりだめなのだ。

それに比べて町のチンピラのように出鱈目だが粋でクールな人情家の髪結い新三がなんともかっこ良いではないか。しかもかなり色っぽい。白子屋の娘を誘拐して抵抗する娘を平気でひっぱたいてしまう慈悲の無さにもアウトローの覚悟が垣間見えてよい。いっそうの事、お駒を縛ったままレイプでもしてしまえば別の意味でも楽しめたのかも知れないが、それでは映画自体の意味がまったく別のものになってしまうので、それは飛躍し過ぎた意見ではあるということは当然自覚しています。

なにはともあれ私にこの名作をなんだかんだと論じる程の知識も洞察力も皆無でありますが、なんと言っても役者陣の存在感が個々にエッジが立っていてよいなあ、と思いました。演出の問題かも知れないし、時代的に全員まったく顔も見た事の無い役者達の芝居を観たせいなのかもしれませんが。

出演していたのは前進座という歌舞伎劇団で、これもまた相当な老舗であるが思想がらみで色々ややこしそうで非常に興味深い。ちなみに海野又十郎役の四代目河原崎長十郎は共産党員でその後毛沢東主義派として除名されて以降、中国共産党の大衆工作に専念。といった経歴の人らしくよくわからないが感緒深い。2012年まで吉祥寺で前進座劇場というのがあったらしく現在でも他所で劇団の活動は行われているらしい。今度観にいってみようかしら、たぶんいかないけどね。お金ないし。

山中貞雄監督の現存する他の2作「河内山宗俊」「丹下左膳余話百萬両の壺」もぜひ観てみたいなとおもいます。DVD化されてればいいのですが。  ☆




2014年7月4日金曜日

新山発現写真展「CLEAN」

新山発現写真展「CLEAN」開催中! >>
7月13日 (日) までです。

















ところで展示をする度に「ああ、やってしまった失敗だ取り返しつかない。今度はこうしよう、これからはこういう事はしないでおこう。」等々、身に染みる事ばかり…というのが実は本当の話なのだが、実際の所、喉元過ぎれば忘れる。忘れてしまう。忘れてしまうのだ。身に染みていないのだ要は。困ったものである。で、毎度毎度実感するのは以下の通り。

「何か同じ所をグルグル回っているようで何時までたっても今ここに居ざるを得ない…。」何をか言わんや、である。で、ここ、サードで展示をさせてもらうのも、もう何回目だろうか… 思い出せない。本当に困ったものである。そしてまた展示をして痛感するのだ、「またしてもやってしまった。」と。

本日から写真展「CLEAN」。お邪魔します。よろしくお願い致します。

新山発現


2014年7月2日水曜日

三脚の視線

本来は、三脚を使った私の視線というべきか。

















ウチの web site にも書きましたが、今回の写真は三脚を使って撮影したものでした。ちょうどこの頃、中平さんの『植物図鑑』や、ウジェーヌ・アジェに興味を持った時で(いまだに、お二人のことは良く解らないでいるのですが・・・最近では、解ろうとする努力も怠っているような〜)、それから、荒木さんの『東京は、秋に』に凄く影響を受けたこともあり、フジフィルムのネオパンF(荒木さんはSSだったけれども)に三脚というチョイスでした。

柳川の沖端漁港で船を係留する“ともえ柱”
三脚を使うと、どうしても「撮りたい」と感覚的に感じた瞬間から、実際にシャッターを切るまでのタイムラグが長くなる。例えば柳川の沖端漁港で船を係留する“ともえ柱”が幾重にも連なっているのを目にした瞬間に、「あっ」と思って三脚を据えてファインダーを覗く。フレームの落ち着きどころを探りながら三脚を前後左右に移動していくうちに「撮りたい」衝動が薄れていく反面、観察力みたいなものが研ぎすまされていくのを覚えます。

フレームの左下に、作業用に加工された乳母車があって、奥には木で出来た橋を人が渡っている。フレーム下の見きれる辺りに煙草の吸い殻があって、それを入れようとファインダーを覗きながら三脚を少しずつ後ろへ下げていく。すると、画面がゆる〜く感じたので仕方なく吸い殻を諦めて三脚を再び前へ。さらに、ファインダーから目を離しカメラが向かっている方向を隅々まで観察する。といった具合に、手持ちで撮っている時とは明らかに違った視線の移動に気づくのです。

そうして、注意深く観察しながらシャッターを切っても、出来上がった写真をあらためて見てみると、実にいろんなモノが写り込んでいるのだから、やっぱり写真はおもしろい。

それにしても三脚と引伸し機って、未だかつて買ったことないんですよねー。
今使っている↑上の写真の三脚は友人の形見。それまでは、かみさんの三脚を使っていたし、引伸し機も不思議とタイミングよく譲り受ける機会があって、ありがたいかぎりです!

さて、今回の展示にあたって、収蔵してくださっている写真を貸していただきました、
『ギャラリー宙』の荒井崇さん、直子さんには心よりお礼を申し上げます。

そして、ご高覧くださりました方々、
本当にありがとうございました!      ムタ



Yangon から。の【追記】(これだけは書かせて!)

29日最終日。相変わらずド派手な白バイの先導でホテルから空港へ向った。お陰さまで予定よりも随分と早く到着し余裕を持ってチェックインへ。

早速、セキュリティーチェックゲートの前で選手たちを先頭に長い列をなしていると、それを見守るように少々太った中年の男性が、とろけるような優しい笑顔でこちらに向かって手を振っていた。選手たちは、別段気にも止めず次々とゲートをくぐっていったが、列の最後尾で順番を待っていた私たち数名のスタッフに現地の方が、「彼ですよ、あなた方を白バイで先導していたのは」と言った。それを聞かされた私たちは一様に「エッ、ウソやん!」って驚きました。だって、笑顔で手を振るその男性からは、大声で車を止め、オーバーアクションで道を広げ、クラクションを執拗に鳴らしながら割って入ろうとする車を阻止する、そんな姿とは到底一致しないもの。で、慌てて彼に向かって「thank youー!thank you very much!」と繰返し、こちらも大きく手を振って別れに答えました。

先にセキュリティーチエックを済ませていたある選手が、そのちょっとした騒ぎに気づき「どうしたんですか?」って聞いてきたので「さっき、手を振ってた人おったやろ?あの人が白バイのおっちゃんなんやって」と答えると、「エッ、マジっすか!?」とやはり驚いていた。なんだかこの間は小馬鹿にするようなことを書いてごめんなさい。こんどはプライベートで会ってみたいです!^ ^  あの笑顔と、あの巧みなボディーランゲージならば、おそらく言葉の壁なんて関係ないと思うから。それになんだか、人にモノを伝える「表現」という事をちょっと教わった気がしました。

白バイのおっちゃん、ありがとう!ほんまにごめんなー。(←これだけは書きたかった)