2015年1月28日水曜日

阿部真士写真展「新宿2014‐2015冬」


阿部真士写真展「新宿2014‐2015冬」開催中です!
~ 2月 8日 (日)までです。OPENは13〜20時。是非ご覧ください!

阿部真士「新宿2014‐2015冬」

新作を展示するのが一昨年の7月以来なので約1年半年ぶりになります。一昨年と昨年はほとんど撮らずにぐーたらしていたので今年来年はちょっと頑張りたいと思います。
よろしくお願いします。

阿部


2015年1月25日日曜日

『はると先生の夢色TSUTAYA日記』7


(c)SHOCHIKU Co.,Ltd.
12月2日

『エンドレス.ワルツ』1995年


原作/稲葉真弓


監督/若松孝二


出演/広田玲央名、町田町蔵

   相楽晴子、古尾谷雅人、佐野史郎、灰野敬二




稲葉真弓の小説「エンドレス・ワルツ」を映画化。29歳で亡くなった天才的サックスプレイヤー阿部薫と、女優であり作家でもあった鈴木いづみの愛憎劇を描く。1973年、新宿。渾沌とした街の片隅で宿命的な出会いをしたイヅミとカオル。天才的アルトサックス奏者といわれたカオルは、酒とクスリ漬けの日常の中でイヅミを求めていた。二人は結婚するが、カオルのクスリは切れず、激しい喧嘩と愛欲の日々が続く。やがて娘が生まれ、平穏な家庭を築いたように見えたのだったが…    allcinema ONLINE (外部リンク)

1995年、私は25歳でそれまで地方でやっていたアングラなビジネスが巧く行かなくなり、博打で借金作って仕事自体も馬鹿らしくなり、逃げるように横浜に戻って友人の営む薬局?の手伝いをしたりしてくすぶりつつも何とか生きながらえていた。
その時の生活はややすさんでいてそれまでと比べると金も無く、付き合い上時間を拘束される機会が多かったので、どうしょうも無くストレスがたまっていたのでした。
だいたいそういう時は他人と会うのが億劫になり、自由な時間が出来ると一人で新宿に出かけていた。
映画をみるのはわりと好きでいつもは、ぴあとかを買って面白そうな映画を探して観に行っていたのだが、この時はたまたまこの映画が上映されている映画館の前を通りかかり入ってみる事にしたのだった。
実は私は一時期シナリオライターになって映画や舞台の脚本を書いて美人女優とやりまくりたい、というわけのわからない野望を持っていて一時期ATGの映画などに興味を持っていたので若松孝二の名前くらいは一応知ってはいたし主演の町田町蔵の事もパンクロックとかはあまりよくわからなかったが、昔みた「爆裂都市」での強い存在感には少し思うところがあって気にかけていたわけではなかったが反応は忘れていなかった。映画を見終わって会場で売られていた阿部薫の「なしくずしの死」と「ラストデイト」と鈴木いずみの「声のない日々」と「恋のサイケデリック」と「いつだってティータイム」を買って喫茶店にはいりを読んでいたらいつの間にか終電の時間になっていた。
このまま帰るべきかそれともいごこちの良い新宿の雑踏の中に身を任せるべきなのか?迷わず私は後者を選択することにした。
阿部薫と鈴木いずみが出会ったゴールデン街に飲みにいってみたくなったからなのだが心のどこかで広田玲央名みたいな女性と出会いたいという事もあったのかも知れない。それまでゴールデン街にいった事は無かったが映画や小説の中で度々出てくる場末の酒場の雰囲気はなかなかハードボイルドで格好良さそうだなとは思っていたのだ。
本当はフリージャズが流れるうらぶれたような店で一人、孤独を噛み締めるように飲んでみたかったが、そういう店が何処にあるのかなんて知らなかったし、なんか恥ずかしかったので暫くうろうろしてしまい結局どうしていいのか判らないままサラリーマン風の客が入っていった店に後に続くように入店したのだった。店の中には先ほどのサラリーマン風と自分と同じ位の年齢の女性二人組がいて女性達は店の店主らしき、やたらテンションの高い年輩の男と話していてカウンターの奥では年輩の女性が淡々と飲み物などを作ってたまにサラリーマン風の話に簡単にあいずちを打っていた。はいってはみたもののこういう店でどういう風に楽しめば良いのかさっぱりわからなかった私は仕方なしにウイスキーのロックを頼み映画館で購入した鈴木いずみの本を開いて間をもたせる事にした。ほんとうは只単に恥ずかしかっただけだったのだが、無愛想に本を読みながらそれでいて落ち着き無さげに飲んでいる私はきっと場違いな空気を醸しだしていたのかも知れない。しばらくすると女性客と話をしていた年輩の男が私の横の席に移動して来て自分が飲んでいたグラスを私の前に差し出すのだった。一人で飲んでいてもつまらなかったし読んでいる本の内容も全く頭に入っていなかった事もあり、私はその店主らしき男と普通に杯を重ねて本をバッグの中にしまって、男との会話を楽しむことにした。酒が入っていたのでどんな話をしたのか?あまり憶えていないが、しだいに酔いがまわってくると男は「白バイ野郎ジョン&パンチ」のどちらの方かは忘れてしまったが口まねをしながらやたらしつこく色々話しかけてくる。ジョン&パンチおやじの迫力に圧倒されてしまったのと確かテレビの深夜番組でやっていたという記憶はあったがジョン&パンチなんか見た事のなかった私はどう話のあいずちを打てば良いのかわからずにいるとカウンターの奥に居たママさんらしき人が合の手をいれてくれて、どうやら男は売れない舞台役者であるらしく昔ジョンだかパンチだかの吹き替えの声優をしていたらしかった。その後もパンチおやじは一方的に話をしてきてあげくの果てには「おれはお前みたいな役者は絶対に使わない。」とか「オーディションに来たら落としてやる。」とかわけのわからないことを一時間位さんざん説教してきてなすすべも無く、つかれ果て少し具合が悪くなりだした頃、ようやく解放されて帰る事を許されたのだった。勘定を済ませるとママさんが「ごめんなさいねぇ。でもまた来てくださいね。」といって店の名刺を渡してくれが、私はかなり酔い気分が悪く、名刺を受け取りながらももう二度とゴールデン街には飲みになんか行かない。この店には絶対来ない。と固く心に誓ったのであった。名刺には「こどじ」という店名とパンチおやじの「ジョーブ」という名前が記されてあった。当然の事ながら広田玲央名風の女性は現れなかった.....私が写真をはじめるよりもまだずっと前のことである。


その後私はその時に購入した鈴木いずみの本と稲葉真弓が書いた映画の原作を全部よんで、なんとなくいいなぁと思いつつもそれ以上追いかけようとはしなかった。阿部薫の音楽も正直何が何だか良くわからなかったがこういう音楽を聴いているのがかっこいいと思っていたのでたまに寝る前に聞いたりしていた。普段から音楽をよく聞く方でもなかったし聴きやすくて乗りやすい歌詞のはいった日本のポップスとかしか普段聴いていなかった私にはいささか敷居が高すぎたのだとおもう。時々サブカルチャー系の雑誌などで当時のふたりの事に関する記事が載っているのを目にすることもあった。1970年代の真摯な暗さを伴う空気感とその時代の文化や風俗に直接関わる事は無かったが幼い記憶の片隅に少し感じて憶えていたのかも知れない、耳年増な私はその時代を神格的にとらえていた所があったようで、それほどはまったわけではないが時代を駆け抜ける様に生き急ぎ、残した作品が今もリスペクトされている二人の生き方には、やはりかっこいいなぁと秘かに憧れの気持を抱かずにはいられなかったのだった。


あれからもう20年程の月日が流れてしまった。私は写真と出会えて、実際には社会的には何でも無いようなものなのだが、それでも何とか自分の居場所のようなものが見えて来て子供も大きくなり一応大きく迷う事も無く何とか生きてはいる。
少し前にDVD化されたこの映画を久しぶりに観てみたが、あの時感じた様な心がヒリヒリと痛む感傷は無く少しさめた目線で物語をたどってしまう。年をとってしまって喪失になれてしまい、失いたくない物を幾つか手に入れてしまった自分にはもうあの頃とは違い、傷つけ合いながらも深く結びついた二人の刹那な物語を素直を受け入れる事は出来なくなってしまったのかもしれない。

一人の部屋でだらだらと酒を飲みながら、ぼんやりと映像をみていても映画の中の世界にひきこまれてはいかない。
劇中にライブのシーン等があり町田町蔵が演奏するシーンが何度かあるが、その音だけには何故か異常に反応してしまった。阿部薫本人の当時の演奏なのか?それとも誰かが吹き替えで演奏しているのか?たぶんシーン毎にどちらでもあるのだとは思いますが、フリージャズとか全く解らない私ですら阿部薫の演奏が非常に強烈でそれでいて叙情感のあるものだと理解することが出来た様な気が致します。物語や俳優の魅力以上にこの音には惹き付けられて、演出の力でそうみせている事も多分にあるのでしょうが、以前とは違った視点でこの映画を楽しめた事はとても良い機会だったとは思います。一年くらい前に阿部薫を撮影していた人が写真の展示をやっていて少しこの映画の話になった時、町田町蔵は完全なミスキャストだという様な事をいっていて、確かに当時の本人を直接知っている人からしたら、そういう意見なんだろうなぁと思った。今回観たときに町蔵の存在感強い演技が少しわざとらしく見えてしまったのはそういう情報のせいだったのかも知れません。でも広田玲央名はやはりとってもよかったでした。



AFCアジア杯2015 準々決勝敗退。。。


星玄人写真展「STREET PHOTO EXHIBITION 19 」本日最終日!
20時までです。 お見逃しなく!
星玄人「STREET PHOTO EXHIBITION 19 」


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AFCアジア杯2015 準々決勝敗退。。。

日本 1 (4PK5) 1 UAE(2015.1.23.18:30K.O.スタジアム・オーストラリア)
得点:7' マブフート 81' 柴崎
STATS 日本/UAE シュート:35/3 CK:18/0 ファウル:17/15 ポゼッション:68%/32% パス数:799/398 クロス数:54/4


仕事が終わり慌てて帰宅してからテレビの前にたどり着いたときには、すでに得点がうごいていた。UAE先制     。それを示すスコアを目にしても理解するまでにしばらくの時間を要した。帰りすがらグループリーグでの盤石の3連勝と、イランとの試合で見せたUAEの戦いぶりを思い出しながら、今日の試合は絶対に大丈夫だという自信があった。ひょっとして選手の中にも同じような感覚をもった者もいたのではないか。自信ではなく慢心というメンタルを・・・。

先程、序盤の部分をようやく録画で見たのだが、開始早々の乾貴士の決定機と、それで得たCKから岡崎慎司のヘディング、この二つのシュートは確実にゴールマウスを捉えていた。しかし、これが「いつかは点が取れるだろう」という気の緩みを助長したのかもしれない。直後にカウンターからウラを取られ、その数分後に失点し、さらに自陣ゴール前でミスを犯して決定機を作られている。序盤のこのすべてのミスに絡んだ吉田麻也は試合後に「ゲームに入り切れなかった」といい。長谷部誠も失点場面を振り返って「確かに集中していなかったです。ボールホルダーにいけていなかったし、DFラインは寝ていた」と呈した。

それでも10分を過ぎたあたりからようやく目を覚ます。守備は強度を増し、あわやのシーンも49分の一度だけ。攻撃では奥行きと幅をうまく使いながら数多くの決定機を作り出した。ハビエル・アギーレ監督も次々と交代カードを切って勝負に出ると、81に交代出場の柴崎岳が本田圭佑の繊細な落しからゴールを決め同点に追いつく。しかし90分で勝負がつかずそのまま延長戦へ。

延長開始直後。それまで献身的に長い距離のスプリントを繰返しつづけていた長友佑都の右足が悲鳴をあげてしまった。当然UAEはその長友のサイドを狙ってきたが、長谷部や逆サイドの本田までもが長友のフォローのために走る。その様は感動的ですらあったのだが、ピッチ上のバランスは崩れ、混乱をきたし異様な雰囲気のままゲームは停滞していった。

延長後半。アギーレ監督が修正を図る。ケガをした長友をインサイドハーフの位置に上げて守備の負担を軽減させる。長友のいた左SBには右SBの酒井高徳をスライドさせ、右のSBに柴崎を配置し戦いの方向性を定めた。これで日本は蘇り再び攻めたてた。いかに共通理解が組織にとって大切かがよくわかる。しかし得点が生まれないまま120分が過ぎPK戦へ。そうして、とりわけ責任感の強い選手が決めきれず、ベスト4進出には至らなかった。

それにしてもUAEは良いチームだった。序盤は日本に臆することなく前からプレッシャーをかけてきたし、長いボールはほとんど蹴らず細かくワンタッチ、ツータッチで繋げてきた。先制後は深く守り中央を閉め、最後のところでは身体も張った。マハディ・アリ監督は人を替え、配置を変えて日本に的を絞らせない。すごく日本のことを研究してきたなと感じたが、それはPK戦のときに柴崎以外のすべての選手が蹴った方向に、GKが飛んだことでも窺い知れる。ほとんどの選手がロンドン五輪でともに戦ったとのことで、あらためて育成の重要性も感じた。

これで、連覇はもちろんのこと、公式戦の場で豪州や韓国もしくはイラクといった強豪と戦う貴重な経験を失ったし、コンフェデ杯への出場も断たれた。ゲームの入り方と決定力不足・・・。試合後に代表戦最多キャップ数を誇る遠藤保仁が「これだけチャンスを作っても負けてしまう、サッカーの怖さをあらためて学んだかなと思う」といったこの言葉がこの試合のすべてかな。悔しい・・・。  ムタ

選手のコメントは「サッカー|スポーツナビ」より


2015年1月21日水曜日

「はると先生の夢色TSUTAYA日記」6


(c) レントラックジャパン
11月26日

『ヨコハマメリー』2006年

監督/ 中村高寛 
出演/永登元次郎、五大路子、杉山義法、清水節子、広岡敬一
   団鬼六、山崎洋子、大野慶人他 

企画制作/人人フィルム 

写真/森日出夫

     

もうずっと昔、小学生の頃オフクロの店がらみの集まりがあり(たしか常連のお客さんのホームパーティーみたいな席で)横浜出身のちょい面白いお兄さんがまだ子供だった自分と兄の世話役をしてくれた事があった。
彼の話は非常にくだらなく、例えば○○社で売っている空気銃はバネを変えると殺傷能力があるとか、中区の富士見中学と平楽中学の間での抗争では毎年何人も死者がでるとか、カマキリの雌のお腹の部分は食べると実は甘くて美味いとか...今思うとこっちが子供だからといってあまりにもばかにしすぎたような最低な話ばかりだったのだが、彼の得意げに話す口調とある時には真剣な表情を浮かべながら熱弁する迫力に惹かれ(騙され)てしまい何気にそのお兄さんのどうしょうもない話を、学校に行ったとき等、クラスメイト達にまるで自分が経験し良く知っている事のように話して聞かせたものだった。
彼から聞いた話の中で当時の私を強烈に惹き付けたのは「伊勢佐木町のオデオン前に、塗りかべババアという八十歳位だけど顔中に分厚い白粉を塗りたくったミニスカート姿の人物が存在する」という話だった。
お兄さんの受け売りで訳の分からない話を同級生達にしつこく聞かせるのが妙な快楽になっていた私は当然のようにその後ホラ吹き呼ばわりされて、先生や父兄達からもアノ子とは遊んじゃいけませんという対象になってしまい、上級生や少し乱暴な趣向のある子供達の恰好の標的にならざるを得ない立場へと以降する事を余儀無くされてしまった。
高学年になってもその立場は変わらず、使いっ走りとか八つ当り要員として何とか集団の中に窮屈な居場所はあるにはあったが、そのポジションには当然納得出来る訳も無く、でも虐められるのは嫌だったので、なるべく余計な自己主張はせずに皆で遊ぶ時はまわりの様子をうかがいつつ参加するように心がけていた。

ある日上級生の誘いで数人で自転車に乗って横浜スタジアムに野球を観に行くという企画が提案された。私は大洋ホエールズになんかまったく興味ないし自転車だと2時間近くかかる徒労にかなり嫌気を感じていたが権力関係に支配されざるを得なかった当時の状況に逆らえる筈もなく、朝6時起きのその理不尽な要求に反対する権利も12段変速のドロップハンドルの自転車も私は何も持ってはいなかったのでした。
保土ヶ谷を過ぎて横浜駅付近に到着した頃になると足が疲れてホントに嫌だったが、ようやく目的地付近にたどり着いた私たち一行は伊勢佐木町に百円で食べられるラーメン屋さんがあるという誰かが言い出した話に乗って、行ってはみたがそんなお店は何処にもなくて腹を減らせたままゲームセンターに行くなどして野球の試合が始まるまでの時間を伊勢佐木通りで過ごしていた。
ゲーセンでは仲間の誰かが大量に増やしたメダル(換金は出来ないがプールは可能)を地元の中学生(富士見中)に全部カツアゲされてしまい、私達の中で一番偉そうにしていた上級生も完全にびびりまくっていたので少しザマアミロだった。
メダルと1人百円ずつの金を捕られてがっくりと項垂れて自転車を押して歩いている間は誰もが押し黙っていた。そんな時、松坂屋の前にポツンと座っいる真っ白な老女が圧倒的な存在感を醸しながらも街の風景の中を佇んでいた。
皆見てはいけないものを見てしまったかの様に一瞬足を止めはしたがそのまま横浜スタジアムまでの道を終始無言で歩いていった。
これが私とメリーさんの出会いとは言えないが初めての出会いだった。他の人たちはどうだったのかわからないが私は野球観戦中も、長い帰り道の途中でもメリーさんを見たときの衝撃が覚めずにいたようだ。
「ぬりかべババァ」の話を聴いてから一年以上過ぎていたが、私が(本当は只の聞きかじりであったのだが)皆に得意気に話して聞かせた話が実在する事が立証されたのも嬉しかった。何よりもメリーさんの異様ながらも強烈な姿そのものが私の心に深く焼きついていたのかも知れません。
それからたまに関内や伊勢佐木町、横浜高島屋などで何度かメリーさんを目撃した。中学を卒業して馬車道の日本料理店で見習いをしていた時は、ほぼ毎日有隣堂のベンチに座るメリーさんに遭遇していた。 一度だけ休憩時間にメリーさんに話かけた事があった「おばさんは何をしているの?」という私のちぐはぐな質問に金魚の絵柄の入った黄色い着物を着たメリーさんは毅然と無視をしてベンチから立ち去ってしまった。失礼な事してしまった罪悪感とシカトされてムカついた気持ちを混合させながらも、着物姿の上品な後ろ姿を目で追いながら、やはりあの人はただ者ではないと実感した。実は大金持ち、とか横浜中の売春婦の総元締めであるとか、昔はマッカーサーの恋人だったとか、相変わらずメリーさんの伝説は皆勝手に語っていたが、そのどれもが本当であってもおかしくない位にメリーさんは圧倒的な謎のオーラを放っていたのであった。

まえおきが長くなってしまったが映画の内容は大体こんな感じです。

「歌舞伎役者のように顔を白く塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆が、ひっそりと横浜の街角に立っていた。本名も年齢すらも明かさず、戦後50年間、娼婦としての生き方を貫いたひとりの女。かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた、その人の気品ある立ち振る舞いは、いつしか横浜の街の風景の一部ともなっていた。“ハマのメリーさん”、人々は彼女をそう呼んだ。1995年冬、メリーさんが忽然と姿を消した。自分からは何も語ろうとしなかった彼女を置き去りにして、噂話は膨らんでいく。いつのまにかメリーさんは都市伝説のヒロインとなっていった。そんなメリーさんを温かく見守り続けていた人達もいた。病に侵され、余命いくばくもないシャンソン歌手・永登元次郎さんもその一人だ。消えてしまったメリーさんとの想い出を語るうちに、元次郎さんはあるひとつの思いを募らせていく。映画「天国と地獄」の中に登場する「外人バー」。そのモデルとなった酒場が、戦後、進駐軍の米兵や外国船の船乗りたちで賑わった大衆酒場「根岸家」だ。客は外国人、やくざや愚連隊、街の不良、米兵相手の娼婦「パンパン」、果ては警察官といった面々だ。無国籍感漂う雰囲気の酒場「根岸家」に集まり、夜な夜な饗宴を繰り広げていた。その当時、メリーさんは“パンパン”として根岸家に出入りし、ライバルたちと熱いバトルを繰り広げていたという。本作に出演するのは、メリーさんと関係のあった人たちや思い入れのある人たち、そして昔の横浜を知る人たちである。それらの人たちのインタビューや取材により、“メリーさん”とは何だったのか、彼女が愛し離れなかった「横浜」とは何だったのかを検証し、浮き彫りにしていく。」(Mvie  Walker より抜粋) 

ドキュメンタリーであるため、映画はメリーさんと親交が深かったシャンソン歌手の元次郎さんを語り部に彼女との思い出や末期癌に蝕まれた元次郎さん自身の事、メリーさんが通っていたクリーニング店や美容室の店主へのインタビュー。古くから横浜の街とともに生きて来た人達の話や、五大路子、清水節子、団鬼六、大野慶人、山崎洋子等、作家や文化人の話と横浜の街を写した映像や写真等で構成されている。

1995年に横浜から姿を消したメリーさんの事は私もそうだがきっと誰もが亡くなっていたのだと思っていたようだ。まるで古い建物が取り壊されてそこに新しい高層ビルが建ち風景そのものが変わってしまっても、人は何の気無しにその新しい景色を受け入れてしまうかのように。メリーさんが居なくなっても直接の付き合い等なかった人達には噂話のネタ位にしかメリーさんに関心を持ってはいなっかただろうと思う。

しかしメリーさんは実は生きていた(この映画の公開当時は.)ラストシーンで岡山の養老院でひっそりと暮らすメリーさんを訪ねた元次郎さんは慰問先で皆に歌を聴かせる。
元次郎さんの歌う「マイ.ウェイ」はまさにメリーさんに捧げられる為の歌なのであると思う。元次郎さんはゲイボーイのシャンソン歌手として固定のファンは居たようだが決しって有名歌手では無かったたのだろう。だが御自分の店を持つ等経済的には安定した暮らしをしていたようだ。

メリーさんはあの頃の時代の横浜人なら誰もが知っている超有名人だったが住む家も無く
晩年も娼婦として生計を立てていたらしい。ちなみにメリーさんが現役の娼婦だと聞いたとき一体どんな人があの人をわざわざお金を払ってまで買うのだろうか?と非常に大きな疑問を感じたが、私が18か19の時福富町で働いていた時期にGMビル付近で夜は何時も寝ていたメリーさんが朝になると酔客を相手にあの甲高い声で「お兄さん千円ちょうだい、千円ちょうだい。」とねだっているのを見てメリーさんの謎が少し解けた事を知り合いに話すと「おれはメリーさんに五千円で車の中で尺八して貰ったことがある。あの人は総入れ歯だからなかなか気持良かった..」等とこれまた嘘か本当かわからない話を聞かされ暫くの間メリーさんの事で頭が一杯になってしまった時期もあった。

話は逸れたが、元次郎さんが、あれほどメリーさんのお世話をしたり金銭的にもささえようとしたのは、きっと末期癌に蝕まれ歌い手として最期を全うするためにメリーさんの「輝き」をわけてほしかったのではないだろうか?そして御自身も輝きたかったのではないだろうか?そんな気がしてならない。でもそれは少しも不快ではない。

エンディングテーマである、渚ようこ女史の伊勢佐木町ブルースもかなりいいが、元次郎さんの歌もとても素敵だよ。何と言うか..音楽では無く「歌」なのだ。

この映画は当然公開時に観ていたのですが、あえて何度もみた感想としては、奇跡のようなノンフィクション。でもそれはメリーさんという圧倒的な題材あっての感動であるのだろう。

物語は何度も観ているうちに計算されたファンタジーとして少々残念ながら私の中では
消費されてしまう。

しかし劇中に投入されている写真(森日出夫氏の写したメリーさんの写真は勿論だが)終戦直後焼け野原の横浜、根岸家の洋パンボス、ミス.ジュンや店内の様子、根岸外国人施設の混血児達が写された写真達に想像力と写真の可能性をこんな私でも貰えたと思う。
この時代にこの場所に居れた人達がとってもうらやましいけど仕方が無いし写真をもっと見てみたい。

渡辺克己さんの事を思い出した。

今日はこのへんにしておきます。ではまたね。 ☆

AFCアジア杯2015 グループリーグ突破!


星玄人写真展「STREET PHOTO EXHIBITION 19 」開催中です!
〜1月25日 (日) までです。 是非ご覧ください! 
星玄人「STREET PHOTO EXHIBITION 19 」



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AFCアジア杯2015 グループリーグ突破!

今年もやりますサッカーネタ!
恐ろしいほど不人気なネタだけど、そんなんカンケーあらへん ^ ^
肝心なことは看板娘のハヤシにまかせて、今年もやりますよ!サッカーネタ!! m(_ _)m

AFCアジア杯2015が9日、真夏の豪州で開幕した。ディフェンディングチャンピオンとして大きな重圧を抱えながら戦う難しさを本田圭佑は大会前に「どういう精神状態で大会に挑んでいけばいいのかまだ見えてきてはないが、試合は目の前に来るモノなので、どういう感覚で(試合に)入っていくか、むしろ楽しみでもある。『チャンピオン』と呼ばれる組織はどうやって(精神状態を)維持しているのか。そういうことを自分なりに考えて、そういう人たちを参考にしながら、そこにオリジナリティーや日本代表らしさを入れていきながら、結果として連覇を達成できれば理想だと思う」と心境を吐露している。また、長谷部誠の呼びかけで選手ミーティングが開かれ「アジアは本当に甘くない、厳しい試合になる」(遠藤保仁)とあらためて確認し合い大会に挑んだ。

日本 4 - 0 パレスチナ(2015.1.12.16:00K.O.ニューカッスルスタジアム)
得点:8' 遠藤 25' 岡崎 44' 本田(PK) 49' 吉田
STATS:日本/パレスチナ シュート:23/8 CK:10/0 ファウル:18/19 ポゼッション:62%/38% パス数:552/315 クロス数:31/8

大会直前、暑熱順化が上手くいっていないという情報もあったが、気温24℃と少々肌寒さも感じられたというパレスチナ戦。どの大会でも難しいとされ、日本は特に苦手としている " 初戦 " であったが、開始早々の8分、遠藤が放ったミドルシュートが決まり幸先良くスタートを切った。 この日は中盤の遠藤、長谷部、香川真司のバランスが良く、左SB長友佑都らとゲームを組み立て得点を重ねていった。しかし、交代出場した選手達が機能しない。特にレジスタタイプの遠藤がピッチを退いてからは攻めあぐねてしまう。「難しかった」とは4得点後、さながら個人のアピールの場と化っしたゲームに、上手く入って行くことが出来なかった途中出場の清武弘嗣の言葉だ。また、本田のコンディションも上がりきれていない印象を残した。

日本 1 - 0 イラク(2015.1.16.18:00K.O.ブリスベンスタジアム)
得点:23' 本田(PK)
STATS:日本/イラク シュート:14/5 CK:3/1 ファウル:23/10 ポゼッション:61.1%/38.9% パス数:582/354 クロス数:14/17

大量得点で勝利した次の試合は、どうしてもフワッとしたゲームの入りになりがちだが、パレスチナ戦後に遠藤が「今日みたいな(ラクな)試合はもうない。切り替えてやりたい」と引き締めたようにいい入りができた。この試合は前線3人とインサイドハーフ2人がフレキシブルにポジションを取りながらゲームを組み立てていく。特に左ウイングの乾貴士はチャンスメイク、スペースメイクともに出色の出来で、乾を中心に決定機を量産していった。後半序盤こそイラクに押し込まれる時間帯もあったが、そこでハビエル・アギーレ監督の采配が冴え渡る。最少得点差という状況であったこともあり、指揮官の思考とピッチ上のメンタルにパレスチナ戦ほどのギャップは生じず、交代出場の選手は躍動した。しかし、90分を通してファウルが多すぎる。特に自陣ゴール近くでのファウルはリスタートからの失点に直結しかねない。次に向けての課題である。が、点差以上に圧倒しての勝利だった。

日本 2 - 0 ヨルダン(2015.1.20.18:00K.O.メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム)
得点:24' 本田 82' 香川
 STATS:日本/ヨルダン シュート:19/5 CK:5/2 ファウル:14/21 ポゼッション:66%/34% パス数:574/296 クロス数:17/13

「75%」    。 前半での日本のポゼッション率だ。驚異的である。これまでのヨルダン戦では2勝1敗1分けと勝ち越してはいるものの肝心なときに勝ちきれず嫌なイメージがあったのだが、そんなものも杞憂に終わった。試合はヨルダンのSBがかなり中に絞っていたため両脇にスペースがあり、特に右SBザフランの守備がかなりルーズでそこを狙い目に責め立てた。前半24分、中央から長谷部が縦にボールを付け、受けた乾が前を向いたその刹那、岡崎慎司と本田がゴール前に詰寄る。岡崎が放ったシュートはゴールキーパーに弾かれるも本田がこぼれ球を押込みようやく " 流れ " のなかからゴールを決めた。そして香川にも実に代表戦9試合ぶりとなる待望の得点が途中出場の清武、武藤嘉紀のお膳立てから生まれる。

これで無失点での3連勝。圧倒的な力の差をみせつけ首位でグループリーグ突破を決めた。試合を重ねるごとにアギーレジャパンの[4-3-3]は精度を高め、攻込まれたときのオプションとなった[4-2-3-1]も強度を増しつつある。しかしダブルボランチの一角で存在感を示していた今野泰幸が負傷で治療に専念することに。また岡崎、武藤もけがを抱えており、決勝トーナメントは総力戦となりそうだ。そこで、ヨルダン戦に短い時間であったが柴崎岳を起用できたのは今後へ向けて大きい。懸念された八百長騒動も「断言できる。選手への影響はまったくない」と長谷部がいうように精神的なストレスはないように見える。さて、日本は中二日となる23日に準決勝を、中三日のUAEと戦うことになった。体調面で不利ではあるが、普通にやれば勝てる相手だろう。高温多湿と連戦の疲れのせいか、ヨルダン戦ではミスも目立ったが、UAE戦ではスキを見せずに戦ってもらいたい。  ムタ

データ、選手のコメントは
サッカー専門新聞「エルゴラッソ」(株式会社スクワッド)
サッカー|スポーツナビ より


2015年1月13日火曜日

星玄人写真展「STREET PHOTO EXHIBITION 19 」


本日より星玄人写真展「STREET PHOTO EXHIBITION 19 」開催です!
1月25日 (日) までです。 是非ご覧ください! よろしくお願いします!!
星玄人写真展「STREET PHOTO EXHIBITION 19 」DM写真面


あっ、今年もよろしくお願いします!  3rddg