2016年3月31日木曜日

HBD J.S


2016年3月17日、写真家の白岡順氏が鬼籍に入られた。

2000年、川崎市民ミュージアムで開催された個展「秋の日」で初めて白岡さんを知った。
暗い画面内にピントのよく合った被写体が精緻なプリントで浮かび上がって見えた。
大学の写真コースになって1年目の僕には中々に難しい写真であった事は間違いない。いま思い返すと、当時の僕にはまだまだ写真を見る目が備わってはいなかった。

2001年、白岡さんが東京造形大学に赴任され、僕たち3年生の専任教員になった。

‘O3’ 一番初めの授業でホワイトボードに書かれたそれを指し、ニヤっと笑い、これが何かわかるかと僕らに聞いた。
オゾンの化学式からどう写真の話に結んだのかはよく覚えていない(あるいは結んでいなかったかもしれない)けれど、その出だしのO3のインパクトだけは今でも脳裏に焼き付いている。
その後、授業や喫煙所での雑談時、飲みの席などでその思想に触れると、その人間性も相まって、感化されるのにそう時間はかからなかった。

悪い影響が出るといけないからと、授業で自分の写真を見せる事はほぼ無かった白岡さんだったが、その甲斐なく既に十分に影響を受けていた僕らの学年の大半が1度は黒い写真を焼いた。それは必然性のない、ただ黒いばかりの代物で、もっと明るくプリントしたらどうだと言われる始末であった。

その黒い写真を見たり、うわさを聞いた他の学年の生徒などに揶揄されたのが始まりだったと思うが、僕らはいつしか‘白岡チルドレン’と呼ばれるようになった。不思議と嫌な感じはしなかったし、その事でむしろ白岡さんに教わっているんだという自負が浮き彫りにされたように思う。

そんな折、僕の中にはいつしか白岡さんとは違う事をして認めさせたいという反骨精神にも似たものが芽生えてきて、卒業制作にはボケボケの写真を提出した。
卒業後、1年間研究生として大学に残った際には‘黒’でも‘白’でもない‘カラー’を選択した。
そのいずれのケースでも真正面から、僕と、僕の写真に向き合ってくれた。
良いものは良い、駄目なものは駄目だと言ってくれた。


2年前の2014年1月の個展に来てくれて、そこで話したのが最後になった。
いつものように写真のこと、同級生のこと、仕事のことや景気のことなどの世間話をした。



葬儀の帰り道、大きな流れ星を見た。






    こちらはもう桜が咲きはじめました
    そちらはどうですか

    誕生日おめでとうございます
    本当は28日に書き上げる予定でしたが、
               今になってしまいました
    お前らしいなと笑いますか

    またいずれどこかで

    乾杯

SEKI'kaoru

2016年3月27日日曜日

『はると先生の夢色TSUTAYA日記』11

林朋奈写真展「かかとの砂」開催中です!
4月3日(日)まで。是非ご覧ください。

今のところ林は、毎日在廊しています。よろしくお願いします!(3rddg)

林朋奈「かかとの砂


 『はると先生の夢色TSUTAYA日記』11

(c)MY BEST! RECORDS
2月14日

「川本真琴and幽霊」 
                   
2012年
作詞 作曲 演奏 歌/川本真琴and幽霊


普段は映画の感想等を書いているが、今回は思う処あって音楽CDについて書いてみる事にしました。(一応TSUTAYAレンタル商品です。)

何故かというと今年2月に入ってから、芸能ニュース等で世の人々をおそらくほんの少しだけ賑わせた、ある騒動に大きく動揺する 日々が暫く続き、四六時中その事について思考を張り巡らせていた為、とても家でのんびりと映画鑑賞など出来る状況ではなかったのでありまして...

騒動についての意見はこのブログ内のコーナーの趣向から大きく外れる内容になってしまいかねないので、別の機会で書き示すことを検討中であります。

1996年。川本真琴氏が「愛の才能で」デビューした少し後、私は獄中のラジオ放送で彼女の歌声を聴いてから、ずっと気になっていて娑婆に戻ってからすぐにファーストアルバム「川本真琴」とシングル盤の「桜」を購入して毎日聞き入っていた。
ファーストアルバムは何千回転聴いたか分からない位でCDが擦り切れて何度も買い直し、今持っているのは確か4枚目である。
時期によって多少の温度差はあったが、それからずっと長い期間、私は川本氏の歌に心酔し、ときめきを感じ、時々自身の中にあるどうしようもなく刹那な感情を独り抱きしめて、輝いては消えてゆく時間の欠片達に静かな別れを告げる事に慰安さえも覚えていた。

2001年にソニーとの契約を解消し、その後2002年にプライベートオフィスを設立して活動の場をインディーズシーンに移す様になってからも川本真琴氏と彼女の歌に対する想いは変わらなかった。世間的知名度等よりも自分の音楽を追求しようという姿勢に、更に尊敬の念を感じずにはいられなかったのだ。

川本さんに対してだけではなく彼女と共に活動する音楽仲間や陰で支えるスタッフの方々に対しても深い感謝の気持ちを持ちつつ、ゲストや対バンで参加するライブやイベントに行ったりネット上で発信される情報などを小まめに搾取しながら、何時も川本氏が与えてくれる楽曲に胸を踊らせ、また自身の妄想力を膨らませていたのであった。

2010年に9年ぶりに発売されたサードアルバム「音楽の世界によ うこそ」はメジャー時代の様なテンション高い刺激的な楽曲では無いがゆっくりと心の片隅に浸透して何度聴いても飽きさせない。
音の細部に拘ったクオリティーの高い名盤である。

その後も川本さんはマイペースな音楽活動を続け、CMソングの歌唱を担当したり、メジャー時代の集大成とも言えるベストアルバム 「The  Complete  Singles  Collection  1996〜2001」をリリースしたりと今まで積み上げて来たミュージシャンとしての実力を 再評価されるべき立ち位置を徐々に確率しているかと思えた。

それはファンとしてもとても喜ばしく、ずっと応援していた自分の感性が誇らしくもあった。

2011年にリリースされた「フェリアリー.チューンズ」に付属のDVDにて収録された映像でのシーン。
母校の小学校の体育館で子供達に歌う川本さん。演奏終了後、子供達から貰った花束を手に舞台を去り行く場面で、駆け寄る児童に、笑顔で答えつつスキップしながら身体をくるりと一回転させて指一本ふれさせない。
可憐なしぐさにスターの貫禄を秘かに感じたのは私だけだろうか?
やはり川本真琴は、可愛くて真面目でカッコいい人なのだった。

その後交通事故を起こして入院した事をニュースで知り、非常に心配した事もあった。どうやらこの事故は川本さんに過失があったようだ。

「愛の才能」「1/2」「桜」などのヒット曲で知られるシンガー ソングライターの川本真琴が、交通事故に遭っていたことがわかった。川本のTwitterで報告されている。

川本は16日の夜に交通事故に遭い、11月20日に予定されていた公演を中止。治療の経過は良好とのことだが、骨折や打撲で演奏するのが困難状況だという。川本は「わたしの方に大きな過失がありこのような事態になったと思っております」と説明し、「この事故により、お怪我をなされたお相手の方、ご家族、知人の方に心よりお見舞 い申し上げます」と謝罪している。』Livedoor Newsより抜粋


時々考える事なのだが、「転び癖」を持つ人が私の周りには何人かいる。そんな人達は皆決まって、とても鋭い感受性の持ち主で、隙間無い危機管理能力と、大胆な行動を実行に移せる勝負強さを合わせ持っている。しかしそれにも関わらず、まったく何でも無い所で、転んだり、交通事故を起こしたり、どうでもいい事でパクられたり、何かしらのダメージを負う失敗を些細な場面で繰り返す事が多いのだ。
人生の節々で自身の因業を直感で降り落とすかの様に、強運 と緻密な努力を兼ねそろえた才能ある自分を戒めるかの如く、全く無意味としか思えないタイミングで、よくわからない自爆行為をおこしてしまう。もしかしたらそれらの行いもその人が生きる為の必然的なバランスの取り方なのだろうか。

私の無責任な憶測というか思い込みに過ぎないのだが、この時の川本さんの事故や入院体験も当然意識的では無いにせよ、今後の音楽活動で大きな拍手喝采を浴びる為の,前兆の闇の時間、みたいに勝手に受けとめていたのだった。(ちなみにその時の事故で受けた怪我での療養中に川本さんは「ブリキの姫」と「とうめいの龍」という絵本の原作を執筆していたらしい...ずっと音楽を続けて来た人なだけにこの時期の経験が新たな創作の新境地になっていればよいなあ、とかも思ったりしていた。)
そしてその後にリリースされたのが、この「川本真琴and幽霊」だったのだ。 
「幽霊」とは言わずとも知られた、川本さんとは旧知の仲である佐内正史氏である。
写真家としても有名な(デビュー作「生きている」とアイドル達の素の表情を捉えた「君になりたい」という本は世間ではなかなか評判がよい。ちなみに私はあまり興味ない)佐内氏は川本さんとは相当に強い信頼関係で繋がっているようで、メジャーを退いてからのCDジャッケットも撮影しているし、タイガーフェイクファー時代の楽曲(やさぐれヤーさんのテーマ)にもMCとして参加している。
非常に情けない話だが、同じ写真家としても知名度では私と圧倒的な差のあるスターなカメラマン佐内氏が川本さんとリスペクトし合っているという事実は、とても羨ましいと思い続けてはいたのだ。

「フェリアリーチューンズ」とその後の交通事故のあと、そろそろ何かありそうな予感がしていてオフィシャルhpWelcome to Makoto Kawamoto's official site !をのぞいていたらこの曲の動画が配信されていた。

正直、この時感じた気持は、あまり良い印象ではなかった。 
川本さんと佐内氏が仲が良い事は知っていたが、二人が並んでギターを弾いている姿に大きな違和感を持ってしまったのだった。
写真家である佐内氏が自分の生業ではない音楽の場で主張するのは些か筋が違うのではないか? 親密な付き合いが在ろうと写真で川本さんと向き合っているのであれば仕方が無い。(例えばそれがヌード写真とかであっても...)というかこの人(佐内)やっぱり作家とかのレベルじゃなくて、只の人気商業カメラマンなんだなぁ。と思って少々気に入らなかった。
後に考えるとこの時は嫉妬心(写真家としてではないよん。)とプロカメラマンに対する偏見で短絡的な解釈をしてしまっていたのかも知れない。(実際肝心な曲の方は聞いてもいなかった訳だし。)ともかく私はその後川本真琴氏の音楽活動を追い掛ける事から遠ざかってしまっていた。別に醒めたとか、嫌いになったとかいう訳ではないし、ファンを引退したという事でもない。

写真を撮り始めてからずっと本能的な衝動だけを頼りに生きて来たが、そういうスタンスに限界を感じていた事もあり、川本さんの存在に頼らず自分をみつめ直す時期であったのではないか?と今は解釈している。
その後リリースされた「願いがかわるまでに」も買うにはかったのだがそれ程聞き込んではいなかった。

私の川本真琴を想う活動は少し長い休止の時期を迎えたのだった。

それから三年余りの月日が流れた。その間川本さんは2001年の「KING SIZE BEDROOM TOUR」以来11年ぶりのワンマンライブツアー「風流銀河girl 2」を開催したり、地上波では13年ぶりにテレビ番組に出演したりと、それなりに順調な活躍をしていたが、コンサートにはチケットが売り切れてしまい行けなかったし、テレビ番組も観たのだが、懐かしのあの人、みたいな番組の趣旨と川本さんの扱われ方に私としてはあまり賛同することは出来なかった。

昨年の夏休み、毎年娘と旅行に出かけている八丈島にて、海水浴帰りのゆるい坂道、商店の脇の錆び付いた壁に何故か見慣れた横顔が写るポスターを見てふと足を止める。
もう一週間前に終わってしまった八丈島の夏祭りの案内ポスターだった。
ゲストは川本真琴・・・
毎年八丈島へは夏祭りの時期を目標に予定をたてていたのだが、この年はたまたま、航空券の早割運賃の都合か何かで祭りが過ぎた週に行く事になっていたのだ。
川本さんのオフィシャルものぞいていなかったし、非常に残念だったがまあ仕方が無いと思い直し、ポスターの横に娘を立たせて一枚シャッターを切った。
どこか空しかった。

あれほど強く移入していた川本さんの音楽活動に以前の様な興味を示さなくなってしまったのは、私自身の生活環境の変化も大いに関係があったのかも知れない。
その頃私は写真を始めてからずっと続けていた、自営業のお仕事を廃業して某運送業と飲食店でのアルバイトで生計をたてはじめていた時だった。
長い間、夢か幻の様な時を生きていて、急に現実が立ち現れたようなそんな状況だったのだ。
慣れない肉体労働と社会的にさしさわりの無い、健全な職務を全うするために、私は無駄な自己主張や、気分を高騰させる行為を自粛していた。
竜宮城から戻った浦島太郎の様に急に老け込んだ気分で日々を過ごし、何に対しても大きく心を動かさない様に意識していたのだった。

幸い写真に対してだけは積極的な気持ちを失っては居なかったが、自身の老後や子供の進学の事等を考えると諦めばかりが頭の中をよぎっていた。

そんな最中、今回の川本さんの騒動の話が私の耳に入って来たのだ。普段はテレビをまったく見ない私には少し遅れて知らされた情報だったが、あわててネットで検索すると川本さんに対する不名誉な情報が悪夢の様に溢れていた。

最初にこの騒動の詳しい内容を知った時は、関与した人物達の人格的レベルの低さもあり、川本さんに対して情けない気持ちが先行して酷くがっかりしてしまっていたが、ネット掲示板のトピックスにあげられた書き込み等をたどって行くと、あまりにも悲惨な状況に置かれた川本さんが不憫でならない。
また私自身の価値観や思い出を否定された様な気にもなり、何よりも川本さんが心に受けたダメージが心配でならなかった。

悪意にまみれた情報の渦の中で、何とか川本さんをこの境地から救い出す方法は無いものかと考えながら、テレビのワイドショー番組を手に汗握り観賞しつつ、自問自答する日々が続く、

 相手の人物達に対して殺意を覚えなかった訳では無いがそれは当然現実的行為ではない。

実際私は川本さんの親戚でも友人でも事務所のスタッフや関係者でも無いし、かといって週刊誌の記者とか、ワイドショー番組の進行役でも無い。まして芸能界や音楽業界の御意見番である訳がない。

 私と川本真琴氏の現実の関係は、強烈な妄想で長年精神的依存を続ける、自称写真家のバイトのおっさんが川本さんのファンであるというだけで、関係というものはそもそも私の中でしか存在しない・・・

直接手紙を出したり、ツイッターなどで書き込みをしたりして川本さんを励ます事を考えたりもしたが、そのような行為も行き過ぎると私がストーカーになってしまう可能性が無くもない・・・

結局そんな現実を受け入れる以外に何も出来ない無力な私だったが、直接伝える事は出来なくても妄想を祈りに変えて強力な念力を発すれば、時空間を越えて川本さんの五感に触れ、ほんの少しでも安らぎを与えてあげることが出来るのではないか?と、無理矢理考えた。

そして川本真琴ファンとして完全復帰する事を心の中で固く誓った私は、先ず自分の気持ちを高める既に川本さんの近年の音楽活動を再検証する必然に迫られた。
急ぎ足で新宿タワーレコードに向かったが、既に持っている曲のCDしか売っていなくて、ディスクユニオンにも行ったがやはり無かったので仕方無くTSUTAYAにいったらこのCDがあったのでレンタルする事にしたのでした。

もうこんな状況でサナイがどうのこうのといっている場合ではなかった。

私は普段日常的に音楽を聴く習慣がなく家にはCDプレーヤーもパソコンも無く、唯一の音響機材であるCDウォークマンも壊れていたので、ひとまず友人宅を訪問して聴かせて貰う事にした。
その友人は元ミュージシャンで様々なジャンルに渡って音楽に対しては高度な知識と洞察力を持っている。

友人に頼んでCDをかけて貰うと、聞き慣れた柔らかい歌声が私の魂を懐かしく震わせた。
思わず涙があふれ出しそうになったが必死でこらえた。
ファンである私より当事者である川本さんはもっともっと、傷ついて辛い虚遇に立たされているのだ。
やがて友人との会話も少なくなりしばらく沈黙の時間が続いた後、友人がポツリと一言。「結構いいじゃん。音も悪く無いね。」みたいな事を言っていた。
もしかしたら友人は平常心を失った私を思いやる気持ちでこの言葉を呟いてくれたのかも知れないが、この時聴いたピアノとギターの演奏は、確かに美しい音色だった。
その後、友人は日吉ミミさんのCDを私に聴かせてくれた。暗く、悲しい女の気持ちを歌った昭和の歌謡曲だったがこの時は全ての楽曲が川本さんへの応援歌の様に私には聴こえた。
友人の気遣いに深く感謝した。

次の日新しいCDウォークマンを買って通勤途中と寝る前に何度もこの4曲入りのCDを聴き込んで数日間過ごした。
作詞、作曲とも佐内氏との共作であるためか?普段の川本さんが作る曲とは異質な雰囲気がやや新鮮に感じられたが、何度も聞いているうちに佐内氏の、詩の朗読みたいなのとか、ボーカルが少し入っている曲目がやはり受け入れ難い。
歌詞には、「モノクロの海のほとり」や「6.7dete青い湿った公園」「窓越しにプラグインしたメモリーカード」等と写真に関する用語が随時散り嵌められており、何だか意味深な雰囲気を醸してはいるが、知る物からすれば無意味だし、どうもわざとらしいと感じてしまう。

佐内氏は川本さんが信頼している人なのだからきっと相当立派な人なのだろうし、悪く言うのは良くないのだが、
復帰第一戦からこの調子では先が思いやられるなぁ。と、思ってしまいました。

いっそのこと川本さんのボーカルのみで構成された一曲目と三曲目だけをCDRに焼きこむか?市販された物をそのまま購入するべきか?少し迷ったが、川本さんの印税収入にほんの少しでも貢献するべき自身の立場を考えると選択肢は後者に限られている。

やはり川本さんと親しい関係にある、ミュージシャンの豊田道倫氏(ちなみに私はこの豊田氏の楽曲を川本さんが歌った作品がとてもすきである。映画「あんにょん由美香」の中で仕様された「ほんとうのはなし」大阪西成の私もよく行く難波屋でのライブで披露された「UFOキャッチャー」ネットの動画でみた「友達のように」等。)は川本さんの 「願いがかわるまでに」に寄せられた序文の中でこう語っている。

「ライナーノーツ 深夜の明るい牛丼屋で、点滅しながら消える幽霊列車を見て」


(今回の5曲入りCD、衝撃的で、面白くて、不思議で、つかめなくて、なかなか文章まとまりませんが、よろしくお願いします。タイトル曲はFMラジオの公録聴いた時から、名曲だと思ってましたし、一曲目の(fisu)はyoutubeに上がった時から、打ち込みで、お!って思ったけど、やはり他の3曲のネオソウル.チューンが、果散で、めちゃ新鮮です。

ネオソウルのリズムに一瞬隠れがちだけど、歌詞、かなり生々しい。初期の名曲(割と最近ちゃんと聴いたんですが)「早退」のねえちゃんが、何年(?)か経って、アラフォーとなり、それでも「恋してる」感じがさー、たまらない。化粧水とか、アルコールとか、綺麗な下着とか、焼肉屋で貰うチューインガムとか、アダルトなアイテムを連想させるソウルミュージック。で、川本さん、正直で、わがままで、何でも話してくれそうな気がして。歌の中では。ね。今年になって川本さんがアイドルや声優さんに提供した楽曲は、王道アイドルJ-POPで、やれば出来るやん!と陰ながら驚愕してたのですが、その手法を自分のアルバムに取り入れることってやっぱりなくて。自分の作品は、自分が生きぬため、楽しむことを一番の前提にして作ってるんだなと、改めて感じました。

自分も歌をうたってるんですが、常に気になるのは、どんな「音」を録音に落とし込むかってことで、言葉とか、肉声、歌って、毎日生きてたら色々あるからそれなりのもの、みんな持ってるけど、昔はちょっとでも、一音でも気を抜いたら、本当に全てが台無しでダサいものになってしまう。前作の「川本真琴and幽霊」では、音楽的にはちょい素人の幽霊さんと組んでて、それはそれで味わいあったしインパクトあったけど、何回も聴けるものには正直ならなかった。その反省を踏まえてかどうかはまったくわかりませんが、今回は旬のトラック・クリエイター/mabanuaさんとの共同プロデュースで、ツボをつきまくったサウンド、アレンジはアーバンで、切なくて、気持ちいい。「5曲入りCD」として、まとまっているのか、まとまっていないのか、わからないのが、謎でね、いいよ。ちょっと関係ないけど、ちょっと前までのここ2、3年毎晩つらくて、ひとりの家に帰るのがとても苦痛でして。誰かと飲んだり、遊んだりして、終電とかで、帰って、駅前のマクドナルドでぐだーっと本読んだり音楽聴いたり寝たりして過ごして、マクド出たとこの松屋でたいして食べたくもない牛めし腹に入れたりして、明け方まで店先で客引きしてるガールズバーの女の子を冷やかして、やっと朝方家に帰ってた。あの頃よくいってた松屋に「願いがかわるまでに」が掛かっていたら、おれ、号泣してただろうなあ。つらいとか、悲しいの気分にフィットするんじゃなくて、ただ、優しい、川本真琴の声が嬉しくて。この5曲入りのCD、新しいしいし、かっこいいし、胸がすくような思いになるし、中古盤屋で100円でかったもののような、気安い人なつっこさもチープさもある。川本さん、サンキュー。)


この文章を読んではじめて、私がこのCDを聴いた時の感想がようやく府に落ちた気分だった。
要するにこのCDはある程度約束された川本さんと佐内氏の遊び心から産み出されたモノで、川本真琴氏の世界観を特別強調した物では無い。だがそういうスタンスで作られた楽曲も、柔軟な姿勢で受け入れれば意外性もあり、それはそれで楽しめる物でもあったりするのではないのだろうか?

私が注目していなかった間、川本さんは「神聖かまってちゃん」の曲のボーカルを担当したり、AKB48の人に楽曲を提供したりしていたようだ。かまってちゃんはあまり好きではなかったので、それもどうか?と思っていたが、そういう活動をきっかけにアーティストとしての知名度が広がる事もあるのではないかと受けとめれば非常に良い事で在る。

物を作る人は、何時も張り詰めてばかりいると自分を客観視出来なくなり肝心な事を見失って、独りよがりに埋没してしまう時も多々あるのだろうし、そういう時にちょっとした遊び心で力を抜いた事をやってみるのも、本人がそれを良しとするのであれば、反省を含めて、行動に移したほうが結果的に本人の成長や新しい発想のヒントに繋がったりする場合もあるのだろう。

アーティストに魅了されるファンの心理は何時も一方的で身勝手な物である。何時も相手に自分の中の幻想を思い描き、
自分の都合で悦にいったり関心を示さなかったりと、決して順風な訳ではない。
ある程度世間に認知され経済的数字を見込める場合であれば尚更、支持してくれるファンの期待を裏切れないという事に縛られて、等身大の自分を見失ってしまうというケースも少なくは無いのだろうかと思う。

私は自分の要求する、「川本真琴像」だけを受け入れようとしていた愚かな自分を心から恥じた。
それは例えば長く交際する恋人の、自分とは合わない側面を少しも受け入れる事の出来ない、非常に傲慢で愚弄な精神に過ぎない事を今回の騒動や「幽霊」さんから少し学んだ。

他人も世界も、何時も思った通りであってはくれない。
だから時々、歌が必要になったり、私が写真を撮る事にも何がしかの意味が芽生えたりもするのだと思いたい。

私は今でも24時間、たぶん眠っている間も川本真琴氏に対して念力を送り続けているが、そのせいか?(ほんとは多分全く関係無し。)この騒動も沈静化されたようで、今ではネット等でもこの話題に対しての新しい情報を見る事は無い。
元々、ベッキー騒動や、清原逮捕といった殺伐としたニュースが続く中、「芸能界での箸置き」とまで比喩された珍騒動
だったのではあるが、私個人にとっては、とてつもなく衝撃的な事件であり、2月はまさに激動の月であった。

結局、本当の真実は追求されず、川本さんの汚名も解消されぬままでの終息ではあったのかも知れないが、元々皆に「どうでもいい」としか語られていなかった筈のこの騒動。何故か以外と長く続いたようだが、もう終わりでいいのではないかと多分全ての人々が思っているんじゃないか?とおもう。

しかし今回の騒動が川本真琴氏の歌手活動に大きなマイナスイメージを定着させてしまった事は否めない。
私の様な古くからのファンや川本真琴氏の音楽性を理解していない人の心には、今回の騒動での印象が染み着いてしまった事であろう。それが私には非常に残念でならない。

そんな私の危惧する憶測とは全く関係無しに、川本真琴さんが新たな創作活動に日々黙殺され、忙しく毎日を過ごされている事を、私は心から願う。

気付いたら思わず長文になってしまいましたが、今回の川本真琴氏関連の騒動ニュースを耳にして、私の事を思い浮かべて御心配頂き、メールや御電話を下さった方々に、この場をお借りして深くお礼を申し上げ致します。

ではまた。☆


2016年3月1日火曜日

へっくしゅん。

今日は真面目に朝7時から働いていたのですが
どうにも体調がよくなくて、早退し、病院へ行ってきました。

ウイルスが体に入って感染はしていないけれど、ウイルスを体から出そうとしてるんだね〜。と先生が言っていました。
もらったお薬を飲んだらくしゃみも鼻水も頭痛も止まりました。
薬まじすげぇ。。って感じです。

普通に元気になってしまったので、今日はキャビネでも焼こうかと思っています。
みなさんも風邪はに気をつけてください。
















びっくりするぐらい内容ない記事ですみません。
なんか書きたい気分だったんです。


ハヤシ。