2015年1月25日日曜日

『はると先生の夢色TSUTAYA日記』7


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12月2日

『エンドレス.ワルツ』1995年


原作/稲葉真弓


監督/若松孝二


出演/広田玲央名、町田町蔵

   相楽晴子、古尾谷雅人、佐野史郎、灰野敬二




稲葉真弓の小説「エンドレス・ワルツ」を映画化。29歳で亡くなった天才的サックスプレイヤー阿部薫と、女優であり作家でもあった鈴木いづみの愛憎劇を描く。1973年、新宿。渾沌とした街の片隅で宿命的な出会いをしたイヅミとカオル。天才的アルトサックス奏者といわれたカオルは、酒とクスリ漬けの日常の中でイヅミを求めていた。二人は結婚するが、カオルのクスリは切れず、激しい喧嘩と愛欲の日々が続く。やがて娘が生まれ、平穏な家庭を築いたように見えたのだったが…    allcinema ONLINE (外部リンク)

1995年、私は25歳でそれまで地方でやっていたアングラなビジネスが巧く行かなくなり、博打で借金作って仕事自体も馬鹿らしくなり、逃げるように横浜に戻って友人の営む薬局?の手伝いをしたりしてくすぶりつつも何とか生きながらえていた。
その時の生活はややすさんでいてそれまでと比べると金も無く、付き合い上時間を拘束される機会が多かったので、どうしょうも無くストレスがたまっていたのでした。
だいたいそういう時は他人と会うのが億劫になり、自由な時間が出来ると一人で新宿に出かけていた。
映画をみるのはわりと好きでいつもは、ぴあとかを買って面白そうな映画を探して観に行っていたのだが、この時はたまたまこの映画が上映されている映画館の前を通りかかり入ってみる事にしたのだった。
実は私は一時期シナリオライターになって映画や舞台の脚本を書いて美人女優とやりまくりたい、というわけのわからない野望を持っていて一時期ATGの映画などに興味を持っていたので若松孝二の名前くらいは一応知ってはいたし主演の町田町蔵の事もパンクロックとかはあまりよくわからなかったが、昔みた「爆裂都市」での強い存在感には少し思うところがあって気にかけていたわけではなかったが反応は忘れていなかった。映画を見終わって会場で売られていた阿部薫の「なしくずしの死」と「ラストデイト」と鈴木いずみの「声のない日々」と「恋のサイケデリック」と「いつだってティータイム」を買って喫茶店にはいりを読んでいたらいつの間にか終電の時間になっていた。
このまま帰るべきかそれともいごこちの良い新宿の雑踏の中に身を任せるべきなのか?迷わず私は後者を選択することにした。
阿部薫と鈴木いずみが出会ったゴールデン街に飲みにいってみたくなったからなのだが心のどこかで広田玲央名みたいな女性と出会いたいという事もあったのかも知れない。それまでゴールデン街にいった事は無かったが映画や小説の中で度々出てくる場末の酒場の雰囲気はなかなかハードボイルドで格好良さそうだなとは思っていたのだ。
本当はフリージャズが流れるうらぶれたような店で一人、孤独を噛み締めるように飲んでみたかったが、そういう店が何処にあるのかなんて知らなかったし、なんか恥ずかしかったので暫くうろうろしてしまい結局どうしていいのか判らないままサラリーマン風の客が入っていった店に後に続くように入店したのだった。店の中には先ほどのサラリーマン風と自分と同じ位の年齢の女性二人組がいて女性達は店の店主らしき、やたらテンションの高い年輩の男と話していてカウンターの奥では年輩の女性が淡々と飲み物などを作ってたまにサラリーマン風の話に簡単にあいずちを打っていた。はいってはみたもののこういう店でどういう風に楽しめば良いのかさっぱりわからなかった私は仕方なしにウイスキーのロックを頼み映画館で購入した鈴木いずみの本を開いて間をもたせる事にした。ほんとうは只単に恥ずかしかっただけだったのだが、無愛想に本を読みながらそれでいて落ち着き無さげに飲んでいる私はきっと場違いな空気を醸しだしていたのかも知れない。しばらくすると女性客と話をしていた年輩の男が私の横の席に移動して来て自分が飲んでいたグラスを私の前に差し出すのだった。一人で飲んでいてもつまらなかったし読んでいる本の内容も全く頭に入っていなかった事もあり、私はその店主らしき男と普通に杯を重ねて本をバッグの中にしまって、男との会話を楽しむことにした。酒が入っていたのでどんな話をしたのか?あまり憶えていないが、しだいに酔いがまわってくると男は「白バイ野郎ジョン&パンチ」のどちらの方かは忘れてしまったが口まねをしながらやたらしつこく色々話しかけてくる。ジョン&パンチおやじの迫力に圧倒されてしまったのと確かテレビの深夜番組でやっていたという記憶はあったがジョン&パンチなんか見た事のなかった私はどう話のあいずちを打てば良いのかわからずにいるとカウンターの奥に居たママさんらしき人が合の手をいれてくれて、どうやら男は売れない舞台役者であるらしく昔ジョンだかパンチだかの吹き替えの声優をしていたらしかった。その後もパンチおやじは一方的に話をしてきてあげくの果てには「おれはお前みたいな役者は絶対に使わない。」とか「オーディションに来たら落としてやる。」とかわけのわからないことを一時間位さんざん説教してきてなすすべも無く、つかれ果て少し具合が悪くなりだした頃、ようやく解放されて帰る事を許されたのだった。勘定を済ませるとママさんが「ごめんなさいねぇ。でもまた来てくださいね。」といって店の名刺を渡してくれが、私はかなり酔い気分が悪く、名刺を受け取りながらももう二度とゴールデン街には飲みになんか行かない。この店には絶対来ない。と固く心に誓ったのであった。名刺には「こどじ」という店名とパンチおやじの「ジョーブ」という名前が記されてあった。当然の事ながら広田玲央名風の女性は現れなかった.....私が写真をはじめるよりもまだずっと前のことである。


その後私はその時に購入した鈴木いずみの本と稲葉真弓が書いた映画の原作を全部よんで、なんとなくいいなぁと思いつつもそれ以上追いかけようとはしなかった。阿部薫の音楽も正直何が何だか良くわからなかったがこういう音楽を聴いているのがかっこいいと思っていたのでたまに寝る前に聞いたりしていた。普段から音楽をよく聞く方でもなかったし聴きやすくて乗りやすい歌詞のはいった日本のポップスとかしか普段聴いていなかった私にはいささか敷居が高すぎたのだとおもう。時々サブカルチャー系の雑誌などで当時のふたりの事に関する記事が載っているのを目にすることもあった。1970年代の真摯な暗さを伴う空気感とその時代の文化や風俗に直接関わる事は無かったが幼い記憶の片隅に少し感じて憶えていたのかも知れない、耳年増な私はその時代を神格的にとらえていた所があったようで、それほどはまったわけではないが時代を駆け抜ける様に生き急ぎ、残した作品が今もリスペクトされている二人の生き方には、やはりかっこいいなぁと秘かに憧れの気持を抱かずにはいられなかったのだった。


あれからもう20年程の月日が流れてしまった。私は写真と出会えて、実際には社会的には何でも無いようなものなのだが、それでも何とか自分の居場所のようなものが見えて来て子供も大きくなり一応大きく迷う事も無く何とか生きてはいる。
少し前にDVD化されたこの映画を久しぶりに観てみたが、あの時感じた様な心がヒリヒリと痛む感傷は無く少しさめた目線で物語をたどってしまう。年をとってしまって喪失になれてしまい、失いたくない物を幾つか手に入れてしまった自分にはもうあの頃とは違い、傷つけ合いながらも深く結びついた二人の刹那な物語を素直を受け入れる事は出来なくなってしまったのかもしれない。

一人の部屋でだらだらと酒を飲みながら、ぼんやりと映像をみていても映画の中の世界にひきこまれてはいかない。
劇中にライブのシーン等があり町田町蔵が演奏するシーンが何度かあるが、その音だけには何故か異常に反応してしまった。阿部薫本人の当時の演奏なのか?それとも誰かが吹き替えで演奏しているのか?たぶんシーン毎にどちらでもあるのだとは思いますが、フリージャズとか全く解らない私ですら阿部薫の演奏が非常に強烈でそれでいて叙情感のあるものだと理解することが出来た様な気が致します。物語や俳優の魅力以上にこの音には惹き付けられて、演出の力でそうみせている事も多分にあるのでしょうが、以前とは違った視点でこの映画を楽しめた事はとても良い機会だったとは思います。一年くらい前に阿部薫を撮影していた人が写真の展示をやっていて少しこの映画の話になった時、町田町蔵は完全なミスキャストだという様な事をいっていて、確かに当時の本人を直接知っている人からしたら、そういう意見なんだろうなぁと思った。今回観たときに町蔵の存在感強い演技が少しわざとらしく見えてしまったのはそういう情報のせいだったのかも知れません。でも広田玲央名はやはりとってもよかったでした。



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